鉄道事故から地域と交通の歴史を学ぶ【信楽高原鐵道列車衝突事故】

皆さんこんにちは。今回は信楽高原鉄道の列車脱線事故について紹介をしていこうと思います。あまり詳しくはないので、ほかの方よりも説明が拙いとは思いますが、「このような事故があったのか」と学んでいただければと思います。

今は画像等はありませんが、今後実際に現地を訪れて資料もアップロードしていく予定です。

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信楽高原鐵道とは

まずは信楽高原鐵道について紹介していきます。信楽高原鐵道は滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までをつなぐ全長14.7キロメートルのローカル線です。

貴生川駅ではJR西日本の草津線・近江鉄道が乗り入れています。

かつてこの路線は国鉄信楽線として運行されていましたが、1981年に不要不急路線として廃止が決定となり、1987年には存続を望む地元自治体により第三セクター『信楽高原鐵道』が誕生しました。

それより元来、今日までローカル線として列車を運行しています。

列車衝突事故について

さて、ここからは列車衝突事故について紹介していきます。

この列車衝突事故は1991年5月14日に発生し、42人が死亡し、全線が運休した凄惨な事故です。

時系列

1991年は信楽高原鐵道にとって大きな転換期となる時期でした。ダイヤ改正による増便、特殊自動閉塞化(簡素化された信号システムで、事故の原因の一つ)など、多くの変更がなされました。

当時信楽町と信楽線の沿線で行われていた世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91が行われていたためです。このお祭りは想像を絶するほどの大盛況で連日多くの人が信楽町に訪れました。鉄道も人々の輸送の一途を担っていたのですが、誕生して以来ずっとローカル線であった路線に対して、急に「多くの客を運べ!」と言っても無理な話です。

ですが、やらないわけには行かないので、滋賀県・JR西日本・信楽高原鉄道は協力をして、小野谷信号場の設置や自動進路制御装置(列車の向きに合わせて自動で信号機などを設定する装置)を装備してほぼ倍の運行本数を確保することに成功しました。

特筆すべきは4月20日から始まったJR西日本との相互乗り入れ直通臨時快速の運行や、貴生川信楽間ノンストップの臨時快速の運行開始です。これにより、JR西日本が車両や乗務員を信楽線内まで乗り入れることになりました。(厳密にはその前に協定を結んでいる)

これらはどれも自己に密接に関わってきます。

その後、5月14日に事故が発生し、全線運休に。その年の12月8日まで旅客列車が運転されることはありませんでした。

事故の概況

信楽高原鐵道の配線の略図は以下のようになっています。

信楽高原鉄道配線略図(©️WWW.DAIHUKUTRAIN.COM)

この図のように、信楽線の小野谷信号場と紫香楽宮跡駅の間で、信楽駅から貴生川駅に向かう上り普通列車と京都からやってきた臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」の信楽駅行き(JR西日本のキハ58系)が正面衝突しました。これにより、JR西日本側の乗客30名・信楽高原鉄道側の乗員乗客12名(うち運転士含む職員4名)が死亡しました。また、下り列車は臨時快速であったこともあり乗客が多く乗っていました。(定員の3倍近く)それにより、多くの人的被害が発生しました。

この事故の凄惨さは話を聞くだけでも相当のもので、信楽高原鉄道側の先頭車は反対の車両の先頭車と自車の2両目に挟まれて、ほぼ原型がなくなってしまったそうです。とても恐ろしい話だと思います。

事故が起きてしまった原因とは?

では、なぜ事故が起きてしまったのでしょうか?背景から核心まで、なるべく深く掘り下げていこうと思います。

事故には複数の原因が絡まっており、全てを総括して話すことは難しいと思いますので、羅列をしていき、最後にまとめる形とします。

私も調べている中で、とても難しい用語に苦難しましたので、なるべく簡単に解説をしていき、どうしてものところではカッコ内に解説を付け加えるようにします。

機械の誤作動と必要な手続きの無視

まずはじめに、機械の誤作動と必要な手続きの無視が大きな原因の一つであったことを記さなければなりません。この機械は制御盤と呼ばれるもので、信号を赤にするか・青にするか管理している機械になります。

信楽駅を出発しようとした上り普通列車は、出発信号が青になるためのスイッチ(テコ)を操作しましたが、赤信号のままでした。

この時、分岐器(列車の進路を切り替えるもの。ポイントとも呼ばれる。)は出発可能な準備ができていた、つまり開通していたため、信号ミスだと考えられていました。そのため、代用閉塞と呼ばれる信号の代わりになるシステムを採用して運転を復旧させようとします。

しかしながら、その際には反対から来る列車に対して「今からシステムを変えて、対向列車を通すからここで待ってて!」と伝えて、確認が取れてから出ないと出発してはいけません。もちろん、お互い知らずに走っていたら正面衝突してしまいますからね。ですが、実際に連携を取らずに発車してしまい、事故の原因になってしまいました。

他にも誤出発検知装置と呼ばれる、反対の列車が赤信号を冒進した場合に、対向の信号を赤にして出発させないようにすることで、事故を防ぐ装置があります。それを作動させることで、小野谷信号場に停車中の反対列車をとどめておこうとしました。

しかしながら、信楽駅の信号修理の影響か、小野谷信号場の信号が一時的に青色になってしまい、それにより進んでしまいぶつかってしまったとされています。

(分かる方向けに高度な書き方をします。代用閉塞を行う場合、対象となる閉塞区間に駅員を必ず配備し、その駅員が代用閉塞を行う旨を列車長または運転士に伝えなければなりません。しかしながら、このケースでは、代用閉塞のための駅員が小野谷信号場に到着する前に信楽駅からの列車が発車してしまいました。これが事故の原因の一つになっています。)

先ほど、陶芸祭に際して信号システムを改修したと書きましたが、これはかなりトラブル続きで問題が多くありました。同じように出発信号が青にならないケースが3度ほど起きていました。特にそのうちの一回は全く同じようなケースが起きていました。その際はたまたま事故が起きませんでしたが、もっと前に同じような凄惨な事故が起きていても不思議ではなかったのです。

JR・信楽両社による無認可による改造の数々

ここまででも多くの原因がありましたが、他にも無認可改造が原因として挙げられます。

上の配線略図を見ていただきたいのですが、信楽線もJR西日本の草津線も両方とも単線になっています。

そのため、上り下り問わずどちらかの列車が遅れた場合、その遅れは対向列車にまで波及してしまいます。

これに一番困っていたのはJR西日本で、JR西日本は当時京都や大阪までの直通列車も出していたため、信楽線内での遅れが草津線のみならず、京阪地区にまで響くことを嫌っていました。草津線も京阪地区への乗り入れ列車が元々ありますから、ダイヤがひどく狂ってしまいます。

そのため、JR西日本は小野谷信号場の方向テコ(進行方向を決めるスイッチ的なもの)をJRの列車運行制御装置(CTC)に付けたかったのです。しかしながら、他社の信号場を勝手にJRが操作などしてはならず、いったんは却下されます。

しかしながら、JRは協議で却下されたこのテコを勝手につけてしまいます。

ただし、このような無認可改造をしていたのはJRだけではなかったのです。信楽高原鉄道も、小野谷信号場の信号を改造していました。

この信号場は峠になっており、減速が余儀なくされ、運転士からかなりの不評を買っていました。(登っている途中でブレーキをかけないといけなかった)そのため、ポイントが開通した時点で信号が警戒に切り替わるように変更し(本来は対向列車が信号場内に入線していることも条件である)し、信楽駅についても場内進入のための信号を信楽駅手前の地点を通過しなければ場内信号を切り替えなかったものを、小野谷信号場から信楽駅間の列車進行方向が信楽駅方面なら進入許可を出すという簡素な物に改造をしてしまいました。

これらが重なったことにより、起きたのが先に紹介した信号トラブルだと言えます。

改造の数々の結果により、貴生川駅から小野谷信号場の間に列車がいるときに、亀山CTCが方向優先テコを動かしてしまうと、信号(進行方向)が信楽駅方面を向いてしまい、戻らなくなってしまう事態になってしまいました。

これにより、先に信楽駅についた事故該当列車は、折り返し貴生川駅に向かう際に赤信号から戻らなくなるというトラブルに直面し、事故に至ったわけであります。

これらの改造について両者は運輸局に無認可・無許可であっただけでなく、両社間での連携も怠っていました。それにより、トラブルが起きた際にどうすれば良いか、具体的に定まっておらず、これも事故の一因となったわけです。

財政状況の芳しく無い第三セクターならではの問題

最後は田舎のローカル線にはよくあることかもしれません。財政状況が芳しく無いこと、職員や役員が鉄道に携わってきた物では無いこと、鉄道技術者が退職後に新たな人材を確保しなかったことなど、多くの原因が第三セクターならではの問題として挙げられます。

これらはかなり重要なことで、誰かが分かっていれば「おかしいんじゃ無いか?」と止めて、事故を防げたのかもしれません。そういう意味では人材というのは、安全輸送を使命とする鉄道においても、鉄道施設よりも大事な物だと言えるでしょう。

事故の原因まとめ

多少長くて煩雑だったでh層から、ここでまとめておくことにします。私の文章力がなく申し訳ないです。Wikipediaの分よりかはだいぶ噛み砕いて書いてあるので、まだ理解はしやすいかなと思います。

まず、信号の不具合とその際にとった対応の誤りがこの事故の最大の原因です。その背景には輸送力を増やすための突貫工事と、JR西日本ならびに信楽高原鉄道の鉄道施設の無認可改造があります。それの問題に気付けなかった、また問題の解決が遅れたのには鉄道に詳しい人を雇えない第三セクターならではの問題があります。

多くの問題が複雑に絡まり合って、そレラが全て致命的なミスとなり、事故が起きてしまいました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。このような社の状況により起きてしまった事故というのは、案外多く存在します。福井県の京福電鉄の列車衝突事故も似た雰囲気を持っています。(こちらは保安装置の問題など、独自の原因もありますが)

今後も好評であれば解説をしていこうと思います。お読みいただきありがとうございました。

コラム 車両 鉄道
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大福

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