西尾駅の過去と今 そして未来の形は…

コラム

かつては三河三都の一つに挙げられ、六万石と言われたほどの大都市であった愛知県西尾市。

しかしながら今日では、三河三都の他2つである岡崎・豊橋と差が開いてしまったように見える。特に駅前の雰囲気は岡崎・豊橋とはかけ離れている。

そこで、今回は西尾駅の駅前の雰囲気を時間別で追って紹介していきます。

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西尾が三河三都と呼ばれた理由

三河地方に在住の方や少しでも知っている方からしたら、「なぜ西尾が三河三都なのか」「安城とか刈谷とかの方が良いのではないか」と思うかもしれません。

三河三都と呼ばれた理由としては「六万石の街であった」「平坂街道が通っているから」というのが挙げられるでしょう。

六万石は岡崎城の五万石を上回り、吉田城(豊橋)に肉薄する石数でした。そのため、非常に規模の大きい主力な街であると考えられています。

また、吉田(豊橋)や岡崎のように東海道は通っていなかったですが、蒲郡や幡豆を通りながら西尾市の平坂湊(平坂港)までを結ぶ平坂街道が通っていたことが三都の一つと呼ばれた所以の一つとも言えます。平坂街道は塩を運ぶ重要な通商路となっていました。そのため、その通り道となる西尾は六万石の町として栄え三都の一つに組み込まれたと考えられます。

三河三都のひとつ、西尾のターミナル・西尾駅

そんな西尾ですが、JRは通っていません。名古屋鉄道・西尾線が通るのみです。(蒲郡線も通っています)

西尾線は完全に地方と都市を結ぶローカル線で1時間に4本2〜4両の電車が行き来しているだけの長閑な路線です。

そんな西尾線のターミナルとなっているのは西尾駅です。

一面二線の駅ですが、朝晩には特急も発着するため小さすぎる駅とは言えないです。

2020年の1日あたりの乗降人数は7869人です。これは2021年の高輪ゲートウェイ駅とほぼ同数となっており、名鉄の中では40番目ほどとなりまあまあな数の乗降があるとわかります。

現在の西尾駅の様子はこのようになっています。

西口(1枚目)東口(2枚目)ともにこじんまりとしていますが、西口にはヴェルサウォーク西尾というショッピングセンターが、東口にはアクセスイン西尾・コンベンションホール西尾が立地をしています。

地方のターミナルといった感じでしょうか。こんな感じの駅は地方に行けばいくらでも目にすることができます。

Googleストリートマップで変遷を辿ろう

それではGoogleマップのストリートビューにて、駅の変遷を見ていきましょう。2013年からの10年間を見ていきます。

東口

東口は駅舎自体に大きな変化はありません。駅名標が変わっていることくらいでしょうか。

2013年10月

2015年7月

2017年6月

2018年5月

2019年11月

裏にアクセスイン西尾というビジネスホテルが建設されましたね。駅前にビジネスホテルがあるのは地方都市らしい景色ですね。

西口

西口は大きく変化しています。

2013年9月

パレマルシェのビルが残っています。またビル左側に野田塾がまだありません。

2015年6月

パレマルシェのビルがなくなりました。寂しい雰囲気になっていますね。

2017年6月

カラオケJOYJOYと亜熱帯、野田塾ができました。今までの百貨店があった駅舎と雰囲気が大きく変わりました。

 

2018年5月

右側ではアクセスイン西尾・西尾コンベンションホールの建設が始まっています。

この1年後建設が始まりました。

 

2019年9月

アクセスイン西尾・西尾コンベンションホールが完成しています。この二つに関しても今後記事にて紹介していきます。

さいごに

このように時代を変遷してみると、懐かしさも込み上げてくるかもしれません。

ストリートビューは過去も見ることができるので、気になる場所をチェックしてみてください!

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大福

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